ひきこもり後編

 ひきこもりには前編と後編がある。二部仕立てなんだ。前編ばかり注目していてはだめ、むしろ後編にこそひきこもりの本質がある。

 外に出られず、働かなければ、学校に行かなければと家でそわそわしながらも、TVゲームを次々攻略したり、古今東西の小説を読破して日々を過ごす。これが前編の主なストーリーです。ここから抜け出して、ひきこもりの集まりに顔をだせるようになり、同じような境遇の仲間に出会い、アルバイトを始めたり、通信制高校やフリースクールのようなところに通いながら大学進学を目指す、ようになればひきこもり“前編”は終りです。

 ひきこもりには後編がある。なんとなくだけど居場所を見つけた、アルバイトしたぞ、働けた、進学できた、そこから満を持して後編が始まる。例としては、職場にちっともなじめず、時間の切り売り労働が骨身にしみる、居場所も仲間もいるが周りの人は自分よりしっかりした生活をしていて取り残された気分だ、進学したけど勉強が好きになれない、と同時に卒業したら結局は働かなければならないと考えると暗澹たる気持ちになる。

 外に出られたらひきこもりは卒業と思っていた人に、この第二章はこたえるかもしれません。ゴールのロープを切り、月桂樹の王冠と金色のメダルが授与されると思っていたのに、現実には新しい悩みが増えるばかりなのだ。

 「仕事を無断欠勤する」こんな出来事はひきこもり前編では絶対出てきません。働いていないから、欠勤できないんだ。外に出ることによって、初めて無断欠勤だとか、仕事が長続きしない、働くと疲れちゃうといった上等な悩みとぶつかる。外に出れば、とりあえず働いてみれば、ひきこもりが抱えている問題が解決すると思っていた、もしくは他人にそう吹き込まれた人はここで挫折感を味わうことだろう。

 ひきこもり完結編。ほろ苦い、新たなるストーリー。ひきこもりの総仕上げであり、生涯をかけて立ち向かう価値のあるものだ。是非、味わって欲しい。ヤマト完結編

コメント

  1. ボクが書いた落選小説、いつか心の中で熟成されて
    発表する日が来るかも知れません。
    一度でいいから新人賞の一次選考を通過してみたいものです。
    異次元断層という言葉にしびれました。
    ワープに失敗した、宇宙戦艦ヤマトを想像してしまいます。
    ひきこもりイスカンダルを目指してがんばりましょう。
    前編は社会復帰への道、後編は引きこもり名人への道。どちらか迷うのも当然です。
    ひきこもりこそ人生における最大の充電だと思います。
    では、その貯めた電気をいつどのように使うのか
    本当に才能なのか、妄想ではないのか
    そんなことを考えてしょんぼりしたりもします。

  2. ひきこもり前編・後編・・・
    僕の場合は、現在はそう・・・スターウォーズで言うと特別編なのかもしれません。
    今まで色々な悩みと格闘、いかに普通であるか(そもそも普通がどのような基準で成り立っているのか不明)を自分なりにカモフラージュしてきました。
    やっぱり、常識を重んじる親の目、周りの目、魚の目(笑)があったのではないでしょうか。
    今は、完全精神的障害の中で生きていますので、やっと自分の役目が終わったと胸をなでおろしています。
    カモフラージュ期(学校時代)は、きつかったですね。
    でも、そのおかげで色々と違った世の中を見る、本当の意味での視野が広がり、もんもんとした時間が増えたことで想像力が増し、自己防衛の手段として、家にいる時はもちろん、外で生活支援施設に行く時、行く途中では、いざ攻撃を受ける事があれば、自分の心の中にある殻に閉じこもる・・・こんな才能が開花されました。
    その殻は、一般的には自分の殻に閉じこもると言われていますが、そうとも言えない事も無いですが、危険を察知して逃げるシェルター、もしくは防空壕みたいなものです。
    ひきこもりは、もしかすると個々の人間が持っている才能を開花させるための、充電期間と言う感じかもしれません。
    常識では、この充電期間さえも奪ってしまうようですが、秋葉原の事件を見ると、この充電期間さえ与えられていれば、こんな事にはならなかったのにと、残念に思う事があります。
    人間は、自分の世界に閉じこもる期間が必要と言う事でしょうか。
    常識、一般的と言う言葉の恐ろしさと、この言葉が今世の中で起こる事件のきっかけなのかもしれません。

  3. 前編と後編を何度繰り返したかもう思い出せないや

  4. 「ひきこもり後編」は異次元断層とも言えますな。私はすでに10年以上もこの断層にとらわれていますぞ。しかも、時と共に断層は大きくなるばかり。もはや「ひきこもり前編」に戻ることもできず、あとは勝山先生のお導きで「ひきこもり完結編」を目指すしかありませぬ。

  5. 「ひきこもり後編」、とても面白い概念ですね!
    いつもながら勝山さんのユーモラスな表現には感心させられます。
    僕は自分の躁鬱病を改めて受け入れる覚悟をし、ソーシャルサポートセンター(旧精神障害者作業所)に通いながら、短時間アルバイトにとりくむ方向で動けそうなところです。
    そして教会で牧師から聖書を教わりつつ、キリスト教をベースにした小説を書ければいいなと思っています。
    やはりライフワーク、夢があってこその人生でしょう。それを遂げるための困難は、ひきこもりであってもなくても同じではないでしょうか。
    ひきこもりの人は、何かしらクリエイティブな才能を持っていると思います。そうだからこそ、ひきこもるのではないでしょうか。
    いつか、勝山さんの書かれた小説がもしできれば、ぜひ拝読したいと思っております。

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