ひきこもりの誕生 THE ORIGIN

 学校に行かない、働かない、家から出ない。それだけでは、ひきこもりにはなれません。そんな状態を親に罵られて初めて、ひきこもりの誕生です。親が学校に行かなくてもいいとか、無理して働かなくてもいいというような考えを持っていたら、それはひきこもりではありません。ひきこもりというのは親子のコラボレーションです、ドロンジョ様やボヤッキーのいないヤッターマンが存在できないのと同じ原理です。誰のおかげで生きていけるんだという恩着せがましい罵声と、うるせーという内弁慶の怒声が、家の中に響きわたる、それがひきこもりの起原です。社会的ひきこもり、ようは社会問題なのです。個人がどうこうという問題ではない。最低でも親子でコンビを組んでから、こじれていくのです。

 こじれるとは、罵詈罵倒がひどくなることです。結局はそれしかありません。親は自分の老後に対する不安とすねかじりに対する恨みで一日をすごします。ひきこもりは部屋にこもり、芥川賞を目指して小説を書くようになります。何も見えない何も聞えない状態ですね、悪い意味でのひきこもり文学道に入り込みます、例外はありません。こじれてしまえば、こんな悪夢のような状態が、かるく十年は続きます。

 ひきこもりの問題とは、このひきこもり前編と呼ばれる無益な状態をいかに短くするかという一点に尽きると思います。ひきこもり息子が働くことに妄執する親と、小説がベストセラーになる夢想にふける本人、両者の大きなへだたり、それに突っ込みを入れてくれる人もいません。親子でボケてしまっているのです。働くはずもない、小説家になれるはずもない、「諦め」という共通の着地点が見えたところで、しぶしぶ休戦状態になります。北朝鮮と韓国のように。

 昨今ひきこもり親子の軍事境界線を、「就労!就労!」と大声を上げながらうろつきまわる連中が多々見受けられます。ひきこもり戦中派として、これを見逃してよいのでしょうか。以前からこういう空気の読めない連中はいましたが、それはレンタルお姉さんのようなキチガイに限られたものでした。両国の味方のふりをしながら、実は戦争を煽っている。いかがなものでしょうか。国連の平和軍気取りですが、イラクやアフガニスタンに侵攻したアメリカ軍と同じ臭いがぷんぷんします。即お引きとり願いたい、わたくしはそう申し上げたいのです。Photo

コメント

  1. 不登校とひきこもり

    不登校とひきこもり 私の愛読しているブログ 勝山実さんの10月27日のブログにこのように書いてありました。 10/27 ひきこもりの誕生 THE ORIGIN 学校に行かない、働かない、家から出ない。それだけでは、ひきこもりにはなれません。そんな状態を親に罵られて初めて、…..

  2. 就労といえば、元プロテニスプレーヤーの松岡、それは「修造」でしたね。
    それはさておき、「就労するぞ。就労するぞ。就労するぞ。」と思いつめるとかえってひきこもりをこじらせてしまいます。それよりも「親のすねをかじるぞ、かじるぞ、かじるぞ。」と思った方がいいですよね。
    小野真弓がレンタルお姉さんになって家に来てくれないかな。

  3. レンタルお姉さんは眞鍋かをり似の美女ですから、突然家に闖入してこられると確実に負けそうな気がします。

  4. 今までの張りぼて世の中のボロが、いよいよ崩れ始めていますね。
    親世代の常識と言う強力な洗脳と、子供世代のその常識を受け入れないとする思考と行動のギャップが、平和で静かな住宅地、団地群の中で静かに、そして時に激しく部屋の中で内乱が起こっているような気がします。
    常識とは、やはりその時代の強力な強欲なおじさん、おばさんによって巧みに操作された情報と、急速なしかも逃げ場を失うほどの洗脳を進めることで、その常識を作ったおじさん、おばさんの自己利益を得るものと感じています。
    親世代は、自らの考えと常識とが、もはや区別する事ができないくらい、潜在的な部分まで入り込んでいる洗脳されきっているので、それをそのまま子供に押し付ける。
    しかし、子供はその洗脳を受け入れる子もいれば、疑問を持つ子もいるわけです。
    洗脳と言うからには、親世代に、塾、進学塾、予備校、各種私立学校、大学、企業、マスコミなどの巧みな連係プレーをすすめ、夢や目標として、目指すべき方向性を仮想現実として、示したと考えています。
    僕なんかの1970年代位の親世代の洗脳とは、学校は優秀な成績を、大学は上位ランクで上の所を、一流有名大企業就職、いい結婚、そして若くして出世、一軒家やマンション購入、高級車購入、子供に恵まれ・・・と言うものであると思います。
    しかし、この洗脳手法は、某宗教集団が、この世の終わりを教祖が証明するために、大量殺人事件に発展したわけですが、内容はどうであれ、洗脳の方法としては、ベクトルは同じ方向を向いているような気がします。
    親世代が簡単にこの洗脳を受け入れてしまったのは、やはり終身雇用などの世の中の状況がマッチングしていたのと、何かしらの自らの思考を停止させる事象があったのではないか・・・と思われます。
    しかし、子供世代はこれをそのまま受け入れられなかった。
    それは、親世代が洗脳されたレベルまでに子供の洗脳が進まなかった。
    洗脳されそうになって、子供の思考や行動が危険を察知して緊急停止を行った。
    世の中の状況が、実は少しずつ仮想生活安定の裏付け(安定人生の仮想事実)が、うっすらとはがれ始めていた
    、無理をして普及させた結果、ボロが出始めた・・・
    などと言う事が、親世代と子世代の考えのギャップが大きくなったのではないかと思います。
    これがひきこもりの増加・・・などと世の中が騒いでいる原因を作るものだったと考えられます。
    しかし、ここですでに間違っているのは、人間はそもそも、個々の存在があって、それにはそれぞれの考え方や行動、人生を進めるスピードがまったく違うということで、当然ひきこもりという立場もあっていいと思うのです。
    ひきこもりは、自分自身を様々な理不尽な事から防御する行動、色々な思想を自らの体験や知識、世の中の常識と比較検討するプロセスにより、悟りを開くという人間誰でも本来ならばあるはずのものだと考えています。
    しかし、ひきこもり=社会問題としている時点で、やはり先ほどの洗脳がとけていない、本当は誰でも持っている人間の生き方のひとつとしてあるべきものだと考えられるのですが、それを受け入れないところが、社会問題の気がします。
    ひきこもる事を嫌う=自分独自の思想・行動の放棄と感じがしますが、今の世の中一向によくならないと言うのは、この方程式が成立してしまっているうちは、当然であると考えられます。

  5. はじめの一年は激戦状態でした、そして芥川賞目指していました。ひきこもりだすとどうしてみんな小説家を目指すんでしょうね。

  6. 既に勝山先生は小説家だと思いますよ
    ブログ書いてるし

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