ひきこもり小鉢

 小さく長く続けるのがいい。小さいことをしくじってもダメージが少ない。やるなら誰も見てないような小さな場所で、こじんまりとトークするのがいい。すべってもダメージがほとんどない。寒い思いも最小ですむ。

 君は、やれば必ず失敗する。どうせダメだろうと思ってやったことが、やっぱりダメだった時、それは君の勝利だ。ダメージが少ない、失うものがない。しかし、もしからしたら、1パーセントくらいうまくいくんじゃないかと、心のどこかで思っていたのならば、それは君の敗北だ。

 おちょこになれ、小鉢になれ、ひきこもりの器よ小さくなーれ。ようは内面の問題さ、心の持ちようさ。ひきこもりを外から成長させることはできない。ひきこもりは内側から成長する。Photo

コメント

  1. 脱ひきこもりなんかよりも、脱煩悩のほうが大切なんです。
    いつになったらひきこもりの花が咲くのでしょうか、
    俺たちの時代を待ちわびています。
    うまくいったことは、長続きしないのでご安心ください。
    ブログを消すのはひきこもりにとってはありがちな行動、想定内です。
    おちょこになり、おちょことして生きてください。
    リンクは自由にしていいのです。
    今頃ぱーぷるは、血のしたたるようなステーキを
    ぺろりとたいらげているのでしょうな。

  2. 『小鉢』はメインではない。レストランで料理が出てきたときに「わぁー」と歓声を上げられる事も、小鉢目当てにその店に客が訪れることも無い
    でも今日のランチで「小鉢付き」となるとほっこりうれしい
    メインじゃないけどちょっぴりお得感で少しだけ人々の心を幸せにする。その幸せは数時間後には忘れられてしまう
    でも、今日も「小鉢」は今日のランチセットの横にちょこんと座ってまっている
    勝山さん、すばらしい説法です
    勝山さんのお考えはぱーぷるを超えました

  3. 勝山さん、始めまして。
    ここ一年くらいの日記愛読者です。
    いつも、記事に、タイトルに、考えに、
    大爆笑です。
    ひきこもり小鉢、最高です!
    おちょこになります。ええ。なります。
    なりますとも。
    先日、統合失調症の方(回復中)と会う機会がありました。60歳をこえたその方は、生活能力も、コミュニケーション能力も、自己管理能力も、まるで、子どものようでした。
    なにもできないんですよね。
    でも、だれも責めたりはしません。よね。
    まあ、「ご病気ですから」ということなんでしょうが。
    それで、思ったんですが、
    やっぱり、ええと、生きるのに、自分の能力以上に、意欲以上に、無理して社会生活したり、いわゆる普通の、シアワセ追求、すること無いんだと思ったんです。
    生きてれば、いいじゃねえかと。
    将来のことを考えりゃあ、不安にもなるし、
    親のことを思えば、申し訳なくもなるけど、
    一寸先は闇、一秒先に、なにがあるかわかりませんからねえ。考えるだけ、気苦労が増えるのではないかと。
    うーんまとまりませんがこの辺で。
    勝手にリンク、させてもらってます。
    これからも、確信犯ひきこもり、応援しとります。

  4. どうせダメだろうと思ってやったことが、うまくいった時、それは悲劇の始まりか?
    悲劇にならなくても、そういう人は、ひきこもりの事が分からなくなるかも。
    どうも、レッサーモヤイです。
    僕のブログは…実は消してしまいました。
    ブログを消すのって、擬似自殺ですね(笑)。
    本物の僕は、何とか元気にやってますけど。
    またいつか、ブログを再開出来たらな、と思ってます。

  5. 何かの本で読んだのですが、飛ぶ鳥を落とすくらいの勢いで、人生を上昇させることがあるとすると、それは気をつけるべきだそうです。
    一気に人生が上昇するということは本来ありえないことであり、徐々に徐々に上がっていくものだと思えるんです。
    一気に上昇するのは、高いところからその人を叩き落す為だそうで、テレビなどでその時代にこんな人見たことがない!なんてマスコミなどが絶賛している人って、お金に絡んだ人は特にそうですが、落ちるときはひどい落ち方をしているような気がします。
    人生は、徐々にそして、足をしっかりと地面につけて着実に歩んでいくもの・・・。
    自分自身の利益追求の為に、多くの人を泣かせている人は、その分、大泣きをすることになるのだと思います。
    ということは、ひきこもりは着実に、苦しくても、さびしくても、情けなくても、地べたに足をしっかりとつけて歩き続ける人たちであると思うので、その分、きっと人生にきれいな花を咲かせることができるでしょう。
    時代が付いてこれないだけで、ちょっと先を自分たちは歩いているだけなのかもしれません。

  6. 身に染みる御言葉です。私は、早稲田大学や慶応大学に進学して彼女もでき合コンしてサークルも楽しむんだとか思ってましたが、実際は現実を思い知りました。性欲という煩悩がなければ見栄も張らずに生きられるのにと思うのですがね。諸悪の根源は性欲じゃないのかなと思います。明惠上人でさえ性欲に打ち勝つことができないで色町に繰り出たらしいです。性欲さえなければ平和な思いやりのある社会が実現できると思います。

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