教育機会確保法の見直しと馳浩について(2)【マニア向け】

 プロレスとは、馳浩とは

 馳浩、知らない人もいるかも知れないが元プロレスラーです。アントニオ猪木ほど有名ではないですが、馳浩も元オリンピック選手(メダリストではない)だったというのが売りのプロレスラーだったのです。

 プロレスとは何か、格闘技なのか、スポーツなのか、男版宝塚のようなものなのか、これはやっているほうも、見ている方も実のところわからないと思う。戦って勝つというだけでなく、試合を盛り上げて、観客にアピールするという不思議な要素を含んだ興行であります。結論から言えば、シナリオがあって、それにそって試合をしているので、「筋書きのあるドラマ」というのがプロレスを表現するのに一番しっくり来ます。馳浩も脚本通りにプロレスをしているレスラーの1人でした。

 はじめからどっちが勝つか決まっているのです。こういう技をかけて、ピンチになって、逆転してといった大体のストーリーを決めて両者がリングに立つ、でもね、ここからがプロレスラーの腕の見せ所なのです、筋書きのあるドラマを、筋書きのないドラマのように見せてなんぼ。そういう点では、馳浩はプロレスラーとしては大根役者でした。あいつの試合は主催者が考えたストーリーが見え透いてるのです。その脚本を引き裂いて暴れるような野獣ではありません。威勢よくリングにあがって、一通りの試合をやってあっさり負ける、元気そうでいて、実はおとなしい輪島タイプのプロレスラーといえば分かる人には分かる。

 1流プロレスラー天龍源一郎

 1流のプロレスラーには大きく分けて二種類ある、カリスマ型スターレスラーと、泥臭い型どさレスラーである。馳浩はカリスマにもなれず、かといって泥臭い試合をすることもできませんでした。

 天龍源一郎と馳浩の試合をユーチューブで見たことがあります。馳はシナリオ通り、元気よくリングに上がり、一通りの動きをしてプロレスショーを演じていました、馳は天龍の技をくらって大げさにリングに倒れる、「今の技は効いたぜ」といわんばかりにリングの上で四つん這いになる、意識朦朧のピンチのレスラーを演じているのです、しかし相手はミスタープロレスこと天龍源一郎であります、ちゃっちゃっと試合を終わらそうと生ぬるいことをやっている馳の顔面をサッカーボールのようにぼっこぼこに蹴り始めます。

 筋書きもなければ、プロレスでもない人間サッカー。プロレス界のロナウジーニョこと天龍源一郎が、生ぬるいプロレスラー馳浩に本場のサッカーを叩き込んでいるのです。筋書きからの脱線、これをファンは見たいのです。脚本にない顔面蹴りに、馳浩も身の危険を感じたのか、はっとして立ち上がり、ふざけるなとばかりに怒りの反撃をします、馳が一方的に攻める展開になる、しかし天龍は逃げずよけず、馳の技を全部受けとめます、馳は大技ジャーマン・スープレックスで相手を押さえ込みます、レフリーがコールする、ワン、ツー、ス、で天龍が返す。にんまり顔で、天龍が、ゆっくりと立ち上がる。

 さあ皆さんおまちかね、天龍源一郎のターンでございます。アマチュアスポーツあがりの馳浩は天龍の術に引っかかって、昭和プロレス地獄に引きずり込まれてしまったのです。「おい馳、俺はお前の技を全部受けたよな、わかってるよな、俺の技をかわすなんてセコいことすんよ」という天龍源一郎の、そして会場のファンの無言の圧力が馳浩を包みこみます。

 天龍の水平チョップから始まり、パワーボムが何度も炸裂します、これぞ天龍劇場。もうこうなれば勝ち負けはどうでもよく、「さすが天龍」「天龍の試合はいつもおもしろい」といった具合で、プロレスラーとしての天龍株がグーンと上がるのみ、こうやって天龍源一郎は語り継がれるレジェンドレスラーとなったのです。

 ジャイアントスイングについて物申す

 いっぽう馳浩、やつの代表的な技というのが、ジャイアントスイングというものです、これは相手の足をもってリング場で相手をぐるぐるまわし投げるという技です。見たことあるでしょ。

 しかしこの技、技をかけられる相手の協力が必要なうえ、かけられた相手は目が回るだけなのです。ただしそれは技をかけている側も一緒というか、かけている側のほうが目が回ります。フィギアスケートの選手のように訓練すれば回転しても、目を回さずにいられるのは確かですが、それは技をかけられる選手も同じことで、技をかけるほう、かけられるほう、ともに息をあわせて成立するこんなぬるいプロレス技の存在が、のちのグレイシー柔術に代表される格闘技ブームを生んだのです。プロレス暗黒時代を呼び寄せた戦犯級の技ですよ。〈続く〉

 


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