捨てること、受け入れること

 学校の勉強で言えば、暗記偏重や偏差値主義、役に立たないものばかり覚えさせられ、競わされる。学歴なんて虚栄でしかないじゃないか、と思いつつもじゃあこれらの嘘をすぱっと捨てられるかというと難しい。ボクみたいに精神的に参ってしまい、高校中退したぽんこつ人間ですら、大検を受けて大学に行きたがるのだから、まともな人なら、役に立つとかは置いておいて、勉強してきちんと進学・卒業するでしょう。

 これは不健全だ、悪だ、間違っているとわかっていても、簡単には捨てることが出来ない。間違っているものを捨てるのは怖いくらいだ。

 役に立たない勉強やってるよりも、田んぼや畑を耕すほうが人間としてずっと正しい。そう思うだけで、何もやらないのです。非人間的労働をして、役に立たないものを大量に生産して、賃金をもらう生活を目指すのが、自分の周りを取り囲む社会復帰のイメージだったりする。時間を売って、現金を得て、食料と交換する。直接、食料を作るほうが賢い、と思っていても現実に受け入れて行動するところまで行かない。

 自分が間違っていると思うものを捨て、正しいと思っていることを受け入れる。さぞかしすっきりとした気分に違いない。でもね、捨てると受け入れるの間には長くて深い「ひきこもり」という河があるのですよ。 

コメント

  1. 深く共感しました。
    私の夢は山にひきこもることです。

  2. ひきこもり田んぼ、ひきこもり畑が欲しいですよね。
    家庭菜園が出来るくらいの場所があったらいいよねえ。

  3. うーん、今日も深いですね。
    その通りだと僕は思います。
    考えれば考えるほど、社会全体が何かに動かされるように廻っていることがわかりますね。
    流れに逆らえば抵抗を受ける。当然のことなのかもしれませんね。当たり前のことだけれど納得がいかない。

  4. とても共感、です。自分は世間でいうところの「働く人々」の中で、唯一農業や漁業をしている人たち(と、何人かの作家さんや思想家や哲学者)を尊敬しています。農家の方たちが食べ物を作って提供してくれるから、一日中椅子に座ってパソコンいじくってるなんてことでも「仕事」として成り立つのだと思います。
    ただ、今回を含めてこれまでずいぶんとコナマイキなことを書き込んできましたが(すみません……)、勝山さんのおっしゃるとおり、自分も日頃思っていることと実際にやっていることがてんでちぐはぐなんですよね……。とても歯痒く、でも動き出すのは恐ろしく、そして農家(と漁師)の人たちに対して深く罪悪感です。

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