ほぼひきこもり

 ほぼひきこもりという概念を導入すると、多くの人が一つになれる。五十歩百歩の無益な言い争いもなくなる。ひきこもり前編と、完結編である後編をつなぐ懸け橋にもなる。働いているんだか、働いていないんだか自分でもよく分からない、しょっちゅうブックオフ店内をゾンビのように徘徊している。そんな人にも、ほぼひきこもりというキャッチフレーズを使って欲しい。zombi


この記事へのコメント

  1. ハードオフ徘徊されているんですね。
    僕は、横浜市内のハードオフは、あっちこっちで徘徊していますので、もしかしたらお会いした事もあるかもしれません・・・。

  2. 8年ほど前に、「今年で定年退職だから
    自分の生活費は自分で稼ぐように」と
    ダディーに言われましたが、なし崩しにそのままの
    ひきこもりライフです。常識ですよね。
    ハードオフはボクも徘徊します。
    バイオハザードならとっくに殺されています。
    プラプラしている暇があるのなら働けよ、
    そんな有害なつっこみが、紫外線の中に含まれているような気がします。
    気をつけたいものです。

  3. 僕は、ハードオフの中をゾンビの様に、ある時はキョンシーの様にフラフラと移動しています。
    ひきこもるということは、家の中ではもちろん、外に出たら自分のココロの中にひきこもる・・・僕の定義はこんな感じで、いつもこれを実践しています。
    今の時代、色々と外を歩いたり、家にいてテレビを見る事によって外部との接点をもって感じる事ですが、ひきこもれる場所が以前に比べ減っているような感じがします。
    外でのひきこもる場所と言うのは、例えると太陽がギラギラと輝く暑い夏の日にちょっとした木陰のようなものであると思います。
    太陽=世間の一般常識と定義してみると、色々なところから、誰かの利益の為につくられたであろう、常識を避ける場所が非常に少なくなっている感じです。
    ここでの、一般常識は、あくまでも人生の上で必要なルールとは違うものとし定義しています。
    よく、一般常識=人生で必要なルールとなっていると感じますが、それは違うような感じがします。
    自分だけの世界に浸れる場所、ひきこもれる木陰は、今もっとも必要なのではないでしょうか、定期的に人間は、日々の人生の中で、これでいいのか・・・と言ったような自問自答する、悶々とする時間って本当は必要なのだろうと思います。
    それは、自分をリカバリーする時間として、本来の自分自身を取り戻す事によって、自分の存在意義を感じる事が出きるのだろうと感じています。
    ひきこもり木陰・・・これが無くなってしまうと、
    常に常識という、紫外線を直に浴びる事になり、
    自分は、世の中でどのくらいの地位にいて、それ以上の地位に行くにはどうしたら・・・。
    そして、やがて自分の存在意義がわからなくなって、色々な問題が起こってしまうんだろうとおもいます。
    こんな時代だからこそ、ひきこもり木陰、もしくは常識紫外線防止オイルを塗って、常識UVケアをしたいものです。

  4. 自分、まさにこれです!ドンピシャリです。
    母親が首から右腕全体にかけて調子悪くここ数年医者通いをしているので、大学中退後はずっと主婦代理みたいなことをやっています。(あ、自分は三十路を二年後に控えた、一応女子です。“ボーイ”とか名乗って紛らわしくてすみません……)主婦代理、つまりちゃんと肩書きとして「主婦」と言えるわけじゃなく、かといって完全に引きこもりとも言えない……実に宙ぶらりんで中途半端なところにいるんですね。本当は家のことをひととおりやってもパートなりバイトなりする時間はあるのに、「家事をやらなきゃ」を口実に社会に出るのをずるずると引き伸ばしていました。ただそれが許されるのも今年限りで、来年は父親の定年退職と同時に働きに出るように言われています。かなり精神的に切羽詰まっています。
    ……何だか愚痴っぽいことをだらだら書いてしまってすみませんでした……。

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