ひきこもり支援マニュアル

 餓死する、ホームレスになる、大変なことになると、根拠のない恐怖でひきこもりを不安にさせてから、実体のない安心を売る。会社で働いて給料を貰うことでしか、恐怖は取り除けないと嘘をつく。高額な料金を取って、就労支援とは名ばかりの商売をする。恐怖とは自分の中から生まれたものではない。他人の頭の中にある想像上のものを、押しつけられたに過ぎない。

 マッチで火をつけて、自分で消す。ひきこもっている本人や家族に、恐怖を押しつける人間を取り締まったほうがいいのではないか。いい学校に行かないと将来貧乏になるという恐怖を押しつける学習塾。死んでお金がないと葬式も出来ない、遺族が餓死すると脅す、保険会社。泥棒があなたの家に狙っていると、宣伝するセキュリティ会社。敵が攻めてくると言い、兵器を量産する国家。

 ひきこもっていても平気だったから、ひきこもり中年男子が存在する。実際、大丈夫だったんだ。なのに、ひきこもりの高齢化が問題だと騒ぐ。
将来という言葉を使い、人を不安にさせ、恐怖させる。そのあとで商売をする。嘘の安心感を売って儲けようとする。そういう輩がたくさんいる。名ばかりの就労支援、働く練習、仕事ごっこ、こんな糞の役にも立たないもの、「就労」による安心した将来なんて空想にもほどがある。

 びくびく怯えていても切りがない。自分という人間の素質について考えてみる。びくびくせず、何の悩みもなく、朗らかに笑って過ごせるのだろうか。本心から、明るく元気な仲間と陽気に騒ぎたいと思っているのか。友達が少ないことが恐怖なのだろうか。貧乏で贅沢が出来ないことが恐怖なのだろうか。目立たず、ひっそりと生活することが恐怖なのだろうか。自分の現在の安心より大事なものがあるとは思えない。安心ひきこもりライフ、陽の当たらない場所で、もぞもぞ生きていくぞ。Gixmil2_2


この記事へのコメント

  1. 恐怖を静めることがことができるのは、
    お金だけだ。それを稼ぐ方法は就労だけだとと
    脅されると、ひきこもれないでしょうな。
    ひきこもりのくせに平和に暮らしやがって
    と攻撃して来るんだと思います。悔しいのです。
    恐怖をお断りすれば、自殺する理由もなくなります。
    死ぬな!稼げ!って言っている連中はお断りです。
    お金があれば安心だというけれど、
    実際にお金は稼げない。稼ごうと思えば、
    自分の人生の自由な時間を犠牲にするしかない。
    安心奴隷というよく分からない、状態になりますよ。

  2. 現代社会が息苦しいのは、贅沢や幸福を強制されているからなのかもしれませんね(自分は贅沢が幸福で貧乏だと不幸、という世間の一方的な決めつけも不愉快なのですが)。この理不尽さにみんな気づいているでしょうに、何故そこを深く考えようとしないんでしょうか。どれだけ苦しくても金儲けに都合のいい社会なら壊したくない、ということですかね……。

  3. 僕の中ではあなたが総理です、というくらい勝山さんの意見には共感させられます。
    恐怖を押しつけることがなくなれば自殺者もだいぶ減るんじゃあないでしょうか。

  4. 軍隊も警察もなくても安心して暮らせる国、それは「ひきこもり国」です。
    ひきこもりが平和に暮らしている国に就労支援という兵器を使って侵略しようとする帝国主義者どもを許すことはできません。
    働きたいと言う人に対してひきこもりは働くなとは言いません。なのに、働きたくない、働けないと言うひきこもりに向かって世間はなぜ就労支援というミサイルを発射するのか、僕には全く理解できません。
    「ほっといてくれ。」 僕が世間に対して言いたいことはこれだけです。

  5. 世の中の流行というか、時代の出来事というものは恐怖心を煽って、その逃げ道に誘導する事で利益を得る企業でできていると感じられます。
    以前、何とか○辞典という番組が流行りましたが、それがやらせだった事は記憶に新しいとい思いますが、この問題が起こる数年前に某食料品の流通関係の方から、健康ブームは実はつくっているんだ。次は何を流行らせようとか、そんな感じで・・・ということを聞きました。
    あぁやっぱりと感じましたが、事が発覚して世の中の人の驚き方がすごかったので、そちらの方が正直驚きました。
    ちょっと考えればそれが、人生にとって本質的なものか否かは、わかる事があると思います。
    もし、おわかりになられない事というのは、やはり集団的思想行動を実践されてきた事の結果と思われます。
    これからの時代、このような脅迫的商売などが続けられる事は非常に残念ですがあると思います。
    しかし、ひきこもったり、あるいは孤独の時間を持たれたり、人生の中でもしあったとしてもそれは人生の失敗ではなく、事実的に何が本当で何が違うのかを知るための期間であると考えられればと思います。
    長いものには巻かれろ・・・それはそれで楽な人生ではありますが、自分の人生を振り返らなければならなくなる時期も来るかもしれません。
    人生はやはり、人の意見によって、思考行動する事は、本来の「自立」とは大幅に異なる事だと思われます。
    それは、単なる人の意見に合わせて生きてきただけの本当の意味での「依存」という事になるかもしれません。
    自分の本当の考えをもって、たとえ行動ができなくとも、持つ事だけでも必要な時代が繰るのではないかと思います。
    大変な事になる・・・という考えのもと生活を続けなければならない時代も平行的には続けられていくであろうと思いますが、様々な意味で時代を変えていかなくてはならない時期にきていると考えられます。
    ひきこもり、色々と自問自答され、孤独をあじわい、様々な葛藤をされてきた方、もうすぐ出番が来るかもしれません。

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