ひきこもりとパソコン

 パソコン導入前と導入後ではひきこもりの深さが違います。パソコンがない時は、完全ひきこもりでした。自分から自分へ空想メールを送り、部屋で寝転び天井を眺めながらの妄想インターネット。その成果を小説として原稿用紙に書き上げ、空想作家としてデビュー。妄想読者(自分)の絶賛をあびる。文学新人賞に応募し、初めて現実世界に触れ、一次審査で落選という当たり前の「つっこみ」を受ける。全然納得できないひきこもり文豪。そんなことを一年に数回繰り返して、文学を理解できる編集者がこの世にはいないことを嘆く悲劇のひきこもり作家生活です。

 誰ともつながっていない。バーチャルと言われるインターネットすらつながっていない、ウインドウズと無縁なパソコン導入前の完璧なひきこもり。真剣にボケっぱなし。パソコンというのはつっこみアイテムなんだなと思う。部屋で築き上げた自分ワールドにつっこみいれてくれる、そんな誰かとつながるアイテムなのです。

 私が始めて手に入れたパソコンはウインドウズ98のノートパソコン。今から10年前のこと。その1年後からホームページを作り、全世界の一流の文学が理解できる読者に向けてエッセイを書き始めました。最初のつっこみは、無視でした。誰からも相手にされない、誰にも読んでもらえないという落ちです。私は思いました。検索エンジンが悪いと、ヤフーがけしからんと。それから自分のページを検索サイトに登録申請するという作業に没頭します。そういう“ボケ”に対する反応は、申請無視、却下というもの。小さなリンクサイトに載りましたがアクセス数が増えません。

 ここでようやくボケが一歩前進します。エッセイが高級すぎた、もっと軽い一般受けのものを書いたほうがいい、低級な読者に媚びてみようなどと、ひきこもり作家は考えるのです。これが新たなるボケであるとは知るよしもありません。何が良くて何が悪いのかというのは他人のつっこみがないと、自分の状況というのはわかりにくいものです。私もホームページ&ブログを9年続けてきました。いつでも真剣でした。勝山商事Tシャツも本気でした。

 ブログのコメント欄もそうですし、メール、直接会話など、いろいろな形でつっこみをもらえる。ありがたいことです。何が受けるのかということが分かってきます。痛々しくほろ苦いひきこもり話が良いようです。ちょっと、いっちゃってるくらい、自分のことを名人だとかブッダとか言い切ってしまったほうがいいんですな。パソコンって、ちょっとづつ現実を教えてくれる、ためになる機械ですよ。

コメント

  1. たわいもないことを楽しんでいる人達に
    対する気持ちはよく分かりますよ。
    飼っている猫の写真をアップしているだけのブログに
    楽しそうなコメントがあふれているのを見ると
    心が折れてしまうよ。
    携帯からもこのブログが見れるということを初めて知りました。便利ですね。
    一人ボケつっこみだと、ボケが強くつっこみが弱くなりがちです。
    注意してくださいね。

  2. やっぱり心情的に似たような体験をしているからでしょうか、自分は勝山さんの書くこともぴえろさんの書くこともとてもよく解ります。
    自分はこの情報化社会において、未だにネットをつないでいない珍しい人種なので(ちなみにここへは携帯電話からお邪魔させていただいてます)、常に『一人ボケ・つっこみ』状態を継続しておりますです……。
    昨年の秋頃にこのブログを見つけて、こうしてコメントという形で参加させてもらうようになってからは、ほんの少しですが変わってきたようにも思いますね。

  3. 僕が、パソコンと言う超高級計算機に初めて触った時は、わけのわからない文字の羅列で、絵を書いたりするものでした。
    これが数十年後、僕みたいに自分の中にひきこもり、人間関係をつくれない人間にとって、他人としかも全世界のネットユーザーと部屋の中にいながらにして接触できる、こんなマシーンに変身するとは思いもしませんでした。
    僕なんかも、色々とメールや某巨大サイトに日記などを載せたりしていますが、全く持って無視・むし・虫・・・。
    他の人は、どんなのを書いているかというと、恋愛話や、食事の事、何か買った・・・などという世間一般的なご友人たちとの会話のような内容の物が多いです。
    僕も、どちらかといえば人間の内面のことしか書けない、恋もできない、友達も全然いない、精神が病んでいる、体も病んでいる、自分の中に閉じこもっている、嫌な事があれば直視して、精神が飽和状態になれば架空の世界への旅行という状態なので、そんな一般的なお話なんて書けないんですね。
    今までの人生の中の体験談から得た話しかどう頑張ってもかけない。
    でも、こういうことを書いても誰も読まない。
    読みたくないのかも・・・。
    で、上記のような当り障りの無い文章は、ものすごいコメント量を保っている。。
    でも最近気付きました。
    そうか、人生を送る上で大切なのは、人生を直視しない目をそらすような文章を楽しむ事・・・
    それは、本当はつらいばかりの人生から逃れる為の唯一の自己防衛手段なのでしょう。
    それでも僕は書き続けるつもりです。
    やっぱり、現実から目をそらしてきた結果、色々な問題が発生してきたと思うのです。
    だから、あえて人生の苦しみ、辛酸を舐めることによって、何が本当は甘く(優しくて)、何が厳しいのかを伝えていこうと思います。
    なんて、正義感ぶっていますが、僕は文章能力が全く無いので、本当は書いてあることを読んでいるのではなく、何か暗号が書かれているな・・・と多分見ている人は思っているのかも知れません。
    それか、もしかすると本当に人生のきつさを書いても、宇宙語で書かれていると思われているのかもしれません。
    というのは、冗談ですが、人間ってやっぱり体験した事でないと何となくピンと来ないのではないか、体験をした上でないと文章の意味するところを理解する事ができないのではないか・・・と思ったりしています。
    長々と異国の言葉が並んでしまい・・・ごめんなさい・・・。

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