良いひきこもりは、もれなくケチケチ王子であります。ハンカチだとかハニカミだとかそんな王子はどうでもよいのです。もっともてなくなるくらい、付き合いが悪く友達がいなくなるくらい、ケチにならなければひきこもりとしては未熟すぎる。小銭をかわいがり、硬貨に頬ずりしたくなってこそ、正しいひきこもりです。
普通の価格にゼロを一つ足したのをひきこもり価格と言います。105円の古本も、ひきこもり価格におなすと1050円です。円の代わりにペリカを用いてもかまいません。これが、まともなひきこもりの金銭感覚です。これを貧乏くさいと思う人は、精神が病んでいるのです、相手にする必要はありません。
お金を使うというのは、残りの寿命を手放すのと同じ行為です。命を大切にするのなら、わずかなお金でも大事にしましょう。ぽたりぽたりとお金をため、それが消えてなくならぬよう、ケチケチ王子に徹するのです。お金を使うならば、一ヶ月は考えないといけません。一ヶ月考え抜いてどうしても必要なら、お金を使うべきです。命もお金も死後の世界まで持っていけません、両方が同時になくなるような工夫が大切です。
一ヶ月考えると言いましたがこれは千円以下の買い物の場合です。それ以上の場合、例えば旅行にいくとなれば2~3万円はかかります。こんな巨額のお金を使うならば一年は考えなければなりません。最近ゴールデンウィークどこに行きたいか、という話をひきこもり作業所の人たちとします。もちろん今年のGWのことではありません、2009年のゴールデンウィークの話です。まあ、こんなことは良いひきこもりの人にとっては当たり前ですよね。
ひきこもりの外出は、小学生の遠足と同じです。一大行事です。練りに練った計画と、この日の為に用意したトークがあるはず。泣き寝入りで溜め込んだ愚痴も、熟成され笑い話にまでに昇華されています。ボクは二月に沖縄に旅行に行ってきました。当然、吟味された旅のスケジュールと朝まで生トークネタを用意し、完璧な状態。一年間ぽたりぽたりとお金をため続けた思いが、この旅行を絶対成功させなければならないという決意になります。ガイドブックに載っていない反戦色のつよい洞窟に行き、ひめゆり隊の人の話を最初から最期まで聞き、高速道路を飛ばして一番人気の沖縄そばの店に行き、その店が今日の分のスープがなくなったというなめた理由で店じまいしていることに憤慨し、二番目に人気のある沖縄そば店に車を飛ばす、それからそれからとタイトな日程をこなす。ただ何となく出かけて、特に面白いこともなかった、ではすまんのですよ。
良くひきこもるには、ケチケチすることさ。ひきこもり価格の遵守し、お金をぽたりぽたりと貯める。
外出する時に、己の全てを出し切るのだ。
コメント
日々是良きひきこもりです。
一日500円で幸せになれる人が
一日5000円稼いだら大金持ちです。
ようは自分に必要な額を見極めて
生きることだと思います。
沖縄そばのお店を訪ね歩いて時間をつぶしてしまったんですね
私はゆいレールの乗り放題券をつかって首里城や国際通りをメインにこじんまりと観光をしました
小禄にあった学習塾は又吉イエスと関係があるのかな
『ケチ』という表現ではイメージが悪いので『慎ましく生きる』というのは如何でしょうか?
エレカシの自宅にてと云う曲でも「慎ましく生きよう」というフレーズがあります。
『慎ましい』と表現するととっても好感度が上がる感じがしませんか?
日々、良い引きこもりの精神で、一時間、一日、一週間、一年・・・と貫いていくと、やがて一生を終えた後、極めて無駄の無い一生を送れそうな気がします。
一般的な常識という世界の中では、いっぱいお金を稼ぎ、いっぱいお金を使おう!という感じで、その世界の中の住人の人に、僕自身も色々ヒソヒソと、理論を植え付けられそうになる日々が続いていますが、実はこの理論は、よく考えてみれば、無駄が多いもので、真の正しい生き方ではないような気がします。
そもそも、一般的な常識とは誰かの都合で考えられた一つの理論に対して、いかに多くの人が、その理論に従って行動したかを示す言葉だと思うので、実はあまり当てにならない事なのかも知れません。