おしゃべりな男と聞いて、どんなイメージを持ちますかな。俺にとって(あえて分かりやすくするために一人称を俺にする)おしゃべりなおじさんというのは、はっきりとイメージが悪い。
おしゃべりはオバチャンのもの。おじさんのものにあらず。高倉健がぺちゃくちゃおしゃべりするようなら、日本はお終いだ。不器用ですからと、黙って背中で語る。わんぱくでもいいたくましく育て、そういう文化のなかで俺も育ってまいりました。
だから余計なことはしゃべりたくない。マイクが来たなら微笑んで、十八番をひとつ歌うだけの、そんな男に…、
全然なっていない。それどころか五十歳を過ぎても、ぺちゃくちゃ話してばかりの、おしゃべりおじさんなっている。交流と称して、ずっとおしゃべりばかりをしている。いかがなものか。
すこし不安を感じている。自分がおじさんの皮をかぶったオバチャンになっているのではないかと、不安を感じているのです。
方向修正をしたい。目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめつづける、そんな時代の最先端のおじさんになりたい。
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