書評『21世紀への階段』(2)

 人類は正しく進歩しているのだろうか。20世紀の知識人たちが書き記した科学技術庁監修の『21世紀の階段』という本を読むと何となくそれが分かる。第二章のタイトルは「人間代用品量産に入る」だ。人間の代用品? それはロボットでありコンピュータのことなんす。労働からの解放という見出しが目を引く。20世紀の知識人が描いた未来の日本では、21世紀の人類は労働から解放されていなくてはいかんのです。まあ、私みたいな解放人も例外としているにはいるけどね。

 本の中の21世紀はオートメーションの時代。機械が自動でやってくれる時代で、人間はスイッチを押して、出来上がったものを取り出すだけ。なにもかも電子レンジ、ああいうノリこそが20世紀の技術者が予想する未来なんだ。第一章の原子力が世界を豊かにするという予想は外れまくりだが、この二章の人間代用品時代の予想はかなり当たっている。電車の改札も予想通りというかそれ以上に進化した、改札どころかスイカなどの登場で切符すらいらなくなりつつあるのだからすごいぞ、21世紀。

 この本を読んで驚いたのは、60年前の当時は、給料の銀行振り込みもなく、電話代等を自動引き落としすることも出来なかった。全部が手渡し。クレジットカードなぞ遥か彼方の未来だった。こんな一切合切が、21世紀をまたずに実現してしまった。オートメーション化は専門家の予想よりも早く進んでいる。無人で動く鉄道も実現している。車はまだだけど、でもそれに近いものは出来ている、カーナビだ。本には「タクシーボタン」を押すと自動的に車が発進するようになると書いてあるが、惜しいっ。カーナビで目的地を設定すれば音声案内で導いてくれる。ただ、タクシーボタンっていう名前がかわいくて好きだ。タクシーボタンを押せば目的地までゴーって、なんとも趣のある古きよき未来。

 楽しい未来の裏に悲しい現実。その最大のものが、労働時間の短縮。全て機械がやるんだ、じゃあ人間は何をするの、それは機械の修理。でも機械もいつも壊れるわけではないから労働時間は短縮されるはずだった。心配すべきはロボットに仕事を奪われる形での失業だけのはずだったのに…。

 21世紀の人類は、機械に使われている。工場で働いている人全てが機械のスピードに合わせて働いている。疲れ知らずのベルトコンベアーに合わせて休み無く単純作業を繰り返している。機械は正確で力があり優秀で、人間は間違いだらけですぐ疲れるのろまだ。機械が主人で人間が召使なのであろうか。そんなはずは無い、機械をどう使うか哲学を持たないといかんのです。速い、安いとかそんな目先の理由ではなく、人間の幸福にとって機械をどう使うか、本当の便利さとはなのか、きちんとした機械に対する哲学が必要です。みんなもテレビの前でごろんと横になって、よく考えてみましょう。〈続く〉

※2020/06/21 一部修正。この文章は3.11の福島の原発事故が起こる前、2007年に書いたものです。

関連リンク
書評『21世紀への階段』(1)
書評『21世紀への階段』(2)
書評『21世紀への階段』(3)

 

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