鎌倉・苦行

 昨日の続き、鎌倉・建長寺のよもやま話。せっかくだからと本堂にある、いくつかの仏像を見てきた。一番心を惹かれたのはガリガリのブッダ像。見慣れない仏像だが、そのガリガリっぷりやよし。ぐいぐいと惹きつけるものがある。ボクもこうなりたいと、ひきこもりブッダ願望が湧き起こりました。

 帰宅後インターネットで調べたところ、あのガリガリブッダは愛知万博のパキスタン館に飾られていた物ということがわかりました。釈迦苦行像。本物はパキスタンにある超国宝文化財。建長寺にあるのは、万博用に作った複製品です。レプリカとはいえ、手間隙かけて作った実にいいものです。本当の苦行というものがどういうものか、断食でミイラ同然になりながらも悟りを開くべく精進するブッダの精神が伝わってきます。

 悟りを開きたい一心でのガリガリです。やせたらもてるとか、やせたらアイドルになれるという勘違いとは無縁のもの。このままじゃ病気で死ぬからという、情けない理由でのメタボリックダイエットとは正反対の崇高な姿なのです。

 ブッダは苦行を6年続けて、こんなことをしていても悟りを開くことは出来ないと気づき苦行をやめる(瀬戸内寂聴は断食を七日間でギブアップ)。ちなみに、ブッダは苦行をやめたあとに、菩提樹の下で悟りを開くのであります。Photo


この記事へのコメント

  1. ブッダのように悟りの境地にいけば
    世間の常識はもちろん、欲望なども
    吹き飛んでしまうのでしょう。
    ひきこもりの悟りを極めたいのです。
    手がつけられない、まさに寂聴の為にある言葉のようです。
    瀬戸内寂聴が酒豪であることが先ほど判明しました。
    もっと、もててもいいばずだの反対
    もう、もてなくていい。それくらいの心境にならないと涅槃には到達できないのかもしれません。

  2. 以前から仏教には興味がありましたが、やっぱりこういう詳しい話を知ると更に惹かれますね。
    般若心経ではこの世に対する一切の未練や執着心(あらゆる欲望)を捨てると、恐怖心から逃れて涅槃に到達する道が開けると言っています。当然ですが、今の自分には全く無理です(笑)。
    無欲に生きることにおいては、自分が尊敬する老子の考え方と通じる部分がありますね。

  3. 瀬戸内寂聴、むかつきますよね(笑)
    石原慎太郎との対談でですが、
    早く死んで地獄に落ちて、
    イイ男とヤりまくりたいそうです(笑)
    このアマだけは手がつけられません(笑)

  4. 続けての書き込み失礼します。
    ガリガリブッダの限りなく純粋な思想による行動が、僕の胸を打ちます。
    ブッタは、6年の苦行を通して悟りを開いたといわれていますが、僕自身のかなり世の中の毒に侵された、未熟な精神で感じた事は、人生そのものには全く意味が無いということなのでしょう。
    苦行を続けていても、お金儲けや、地位名誉などの本能的な事に溺れていても、あまり意味がない。
    意味をもたせようとしている事自体が、無理があるのではないかと思います。
    人生は、様々な呪縛が自分たちを苦しめます。
    今の世の中でいうと、常識ということになるでしょうか、これさえなければかなり人生は楽になる・・・か、もしくは人生のガイドレールが無くなって、余計苦しむか。
    今の時代、もしくはいつの時代でもそうだと思いますが、時代時代にある、常識という呪縛から開放された時、また、自分自身を解放させた時、実は本当の自分の姿、または、世の中のあるべき姿が見えてくるのかもしれません。

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