寂聴先生は老いについての一番の問題は感動が鈍くなることだと言いました。例えば桜が咲くと、前は綺麗だな、美しいなと感じたものですが、86歳になると「ちっ、また咲いたか」と思うようになる。いい男が寂庵に訪ねてきてもちっとも感動しない、元シブがき隊のモックンが来てくれた時も感動しなかった。「情けないことですよ、自分が許せない。私は半分死んだ!」、寂聴先生はおっしゃいました。
感動を取り戻そう。わくわくどきどきの元はどこにあるのか、それは“秘密”にあります。「私は何でも書いちゃうでしょ、小説ストリップをずっとやってきました、スッパンパンで大股ひらいてもね、人は感動してくれませんよ、見せてくれないと、あそこはどうなっているんだろうと考え“わくわくどきどき”が生まれるんです」。寂聴先生の下ネタ説法に会場の雰囲気がにごります。
秘密を作るためには恋が一番ですが、86歳では相手がいない、どうしようという時に毎日新聞社から、ケータイ小説を書いてみないかという話があった。やってみたら、ぱーぷるが瀬戸内寂聴であるとも気づかず、アクセスして読んでくれる人、コメントをつけてくれる人がたくさんいる。秘密が持てた。すると、頬のつやがよくなり、若くなって、わくわくどきどき、感動できるようになった。
「でもね…」、寂聴先生はおっしゃいました。<続く>
コメント
寂聴先生は、若いいい男にしか
興味がないようです。おじいさんではわくわくどきどきしないのです。
現場仕込みの下ネタ説法、
工事現場の親方並みの迫力があります。
恐ろしいというか、もう寂聴先生には
歯が立たないです。
わざといいひきで終わらせてみました。
でも特にいい落ちがあるわけではありません。
精神が老いると桜も効き目がなくなるのでしょう。
でもケータイ小説を書けば精神が若返るから大丈夫です。花見も楽しめます。
長生きしようって世の中では言うけど、
ちっ。桜が咲いたか、、、って世界なんですね。
何時まで生きるんだか、うんざりしてるんですかね。
でもね、の後がきになります。
ううっ、いいヒキですね。続きが気になります。
恐ろしい子・・・じゃなかったクソ婆
下ネタ説法、新しいジャンルですね。
86歳にして開拓者とは、老いてはますます壮なるべしを体現してらっしゃる。
有難いのか有難くないのか苦笑いな下ネタ説法、ぜひ生で聴いてみたいです。
ありきたりな表現ですが、とうとうご本人にお会いになったようですね。
86歳まで、女性の感覚を持ち続けたのはさすが、バーチャル女子高生と言った感じでしょうか。
86歳のバーチャル女子高生・・・かなり疑問が残りますが、相手がいないと言っても、年上のおじいちゃんとか、年下のおじいちゃんとか、胸をときめかせる存在がいないのでしょうか。
やはり、歳相応の同年代に近い経験をしているおじいちゃんの方が、話が弾んで楽しい・・・いやいや、お坊様がそんな、汚れた世の中の人間と同じような考えと行動を持ってはなりませぬ。
仮にも、神仏に仕える身でござろう。
今、なぜ、このお坊様は、恋愛に対しての表現を電子の海の中に流すと言う行為をしたのでしょうか。
ときめき・・・?
お坊様が?
と言う感じでやっぱり疑問に残ります。
と言う事を書いているうちに、あることに気がついてしまいました。
女子高生とメル友なんて、今の時代は当たり前(?)という感じなのでしょうか、分かりませんが、仮に葬だとしたら、携帯電話の先でメールを送ってくる女子高生は、本物なのでしょうか。
まさか80歳を過ぎたバーチャル女子高生ではないでしょうね・・・。